瀧廉太郎と竹田のお雛さま

昨夜は、相方が夕方帰省後・・即っ!恒例の温泉へGoっ
今回は、連日講座従事中のanego的に平日泊りはムリ…
てなもんで、チャンスはこの土日のみ
食事なし一泊!毎度お馴染の行きつけのお手軽へ~
遅くからの温泉浸かり三昧とちょいお酒・・で、即爆睡っ^^;
チェックアウトは、9:00・・
生憎のとあらば、山歩きもムリであり・・
それどこか、〆ギリギリの仕事も予定であった為に、
そこから遠方へ行くにも時間に限りはあるし~てなことで、
宿泊したところより程なく近距離の竹田へ向かうことに。。
いつも通り過ぎるだけの気になっていた瀧廉太郎ゆかりの地
竹田を周りたくなったのだ


瀧廉太郎記念館

12歳から14歳まで彼が暮らした屋敷が記念館として公開・・
名曲の数々や手紙・・絵画などの資料が展示されている☆



きつねにまつわる逸話が、微笑ましい
倉庫

倉庫2F 廉太郎の部屋

23歳という若さで逝去した廉太郎の音楽家としての才能だけでなく・・
筆や絵画にあっても高い才能を持っていたことなど・・
初めて知り得ることばかりであり、静かに感動してしまった。。
オペラを観に行ったが故にかかってしまった風邪故に・・
たった2ヶ月で終わってしまったドイツ留学。。きっと無念であったろうなぁ~
それが元で重い病となり、帰国1年後に没している。。
廉太郎トンネル

中を通ると人に反応して、荒城の月が流れる
竹田創世館

創世館に飾られた雛の数々

 大正雛

玉子雛
なんとも、愛らしかったぁ☆


水琴館にて





入口にある水琴窟

カラン♪ ピチョン♪ など、音がたのしい

街中お雛巡りの1つ

武家屋敷跡

キリシタン洞窟礼拝堂
 

竹田まで、フランシスコ・ザビエルが普及活動をしていたということを
初めて知った次第。。長崎や鹿児島・熊本辺りしか・・
無知なること甚だし・・(。。;;)
小腹がすいたので、竹田名物はら太なるものを1個買い求める

味は、大宰府の梅が枝と熊本のいきなり団子を併せたような
名前の由来には諸説あるらしく、江戸時代に岡藩主の中川公が家来とはぐれ、
空腹で難儀した折、一人の娘からもちをもらい、満腹になるまで食べた
というエピソードもその一つらしい。。
荒城の月を生んだ岡城址

瀧廉太郎が好んでよく散策していたらしい。。
今回は、時間の都合と雨模様の為・・登るのは諦める..

竹田市内の「一竹(いっちく)」という宿泊施設で
遅い昼食を済ませ・・帰宅の途へ~
健康的でなかなかおいしかったっス

帰宅後は、慌てて依頼業務にとりかかった次第..^^;
印刷入稿に間に合って・・

コメント

  1. アバター画像 anego より:

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    色々・・ゆっくり楽しみましょ~♪♪

  2. アバター画像 ポテト より:

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    お忙しい身でも、しっかり竹田を楽しんでおられますね~(^^)
    私もな~、いろいろゆっくり行きたいな~(^^ゞ

  3. アバター画像 anego より:

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    お・・コメントありがとうございます。。
    ご無沙汰しておりますm(__)m
    そうですね。。
    あちこちに湧水の飲み処がありました(^_-)

  4. アバター画像 中原由美子 より:

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    竹田は前から一度行ってみたい所なので、とてもうれしいです。
    写真をたくさん載せて頂きありがとうございます。
    竹田は水がきれいな風情のある所というイメージです。滝廉太郎さん
    のふるさとですね。竹田に行った気分になりました。

  5. アバター画像 anego より:

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    さすがっ!歴女でございますぅ~~
    何だか、切ない逸話ですね。。
    争いさえなければ、生じないことだったでしょうにね・・

  6. アバター画像 さすらう女 より:

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    竹田に「姫だるま」がありますよね。
    あれにはちょっと悲しいお話があるんです。
    岡城を作った中川秀成の奥方は「虎姫」。
    虎姫の父は秀成の父親を戦で討ち取った関係。
    秀成と虎姫の関係は良かったものの
    家臣にとっては敵の娘を奥方と言わなければ
    ならない不条理さがあったのです。
    それを察した秀成は
    虎姫を一生竹田の城に入れることをしなかったそうです。
    このことを哀れに思った竹田の女性達が
    虎姫を思ってつくったのが姫だるまだそうですよ。
    そんな話を聞くとなんだか
    表情が物悲しいかななんて思います。